일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

三

シェストーフ其の他の紹介翻訳(翻訳の文学的意味は文化の忠実な紹介につきる)、それから又その独創的な(?)追加的解釈、之は現代に於ける一種の部分的な啓蒙活動に他ならないのであって、ただ後に見る処から判るように、それが甚だローカルに歪曲され萎縮した啓蒙活動だという処に、夫が本格的な啓蒙の形を取り得ずに、却って一見専門的なアカデミックでさえある服飾に包まれて見える、ということの理由があるに他ならない。

三

それはさておき、仮に今、田口鼎軒が専門家で福沢諭吉が啓蒙家だとして、併し両者がそれにも拘らず同じく明治初年の日本に於ける啓蒙期の二大代表者であったということを注意しなければならない。歴史認識上の乃至は倫理観念上の徹底した合理主義の提唱がこの二人の啓蒙期人物に共通する処だろう。丁度フランスやドイツの啓蒙期の哲学者達が、事実上又啓蒙家的な哲学専門家であったように、この二人は啓蒙家的な専門家と啓蒙家的啓蒙家とであった。

だからそこで、一般に啓蒙家なるものに見られる啓蒙と、歴史上の一定時期であった啓蒙期の啓蒙とが、宿命的に離れることの出来ないように結合しているものだ、という風に一応考えられ易いのである。