일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

によって把握されるものではなくて、社会の分析やそれに必要な社会的感覚(即ちジャーナリスティックな時事的センス)によって初めて把握されるものだ。日常性の嫌いな超俗物派の俗物は歴史の問題に就いても、自分が袖にした日常性から復讐されているのであるが、それを知らないのは俗物自身だけだろう。要するに事柄は、「歴史哲学」と史的唯物論との根本的な反対対立ということに帰着するのだ。

日常性の問題から当然思い起されるべきものは批評の機能である。或いはもっと卑近に云えば、多分文筆業者達は新聞と云うとすぐ様批評を思い浮べることだろう。尤も気ムヅかしやの作家達の或る者によると、批評というものは甚だツマらぬ怪しからぬ無益なもので、特に時評に至ってはなっていないということだ。まして匿名批評に至っては言語道断だと云っている。匿名批評のもつ社会的機能の意義に就いてはすでに述べたが、今は、時評の方の時事的機能に注目しよう。実際、前から云っていた時事性から出発しなければ、凡そ批評(批判・評論)というものは、哲学的に全く理解出来ない。

期間が一日であるか一世紀であるかは問わぬとして、とに角一定の時期やセーゾン(季)に立つ時事性を出発点にすることによって、初めて批評は批評の機能を果すことが出来る。