후리가나로 읽는 일본 고전
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あねがわのかっせん
日本合戦譚
菊池 寛
菊池 寛의 日本合戦譚(あねがわのかっせん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 154,771자 · 313화면
島原の乱
切支丹宗徒蜂起之事
肥後の国宇土の半島は、その南方天草の諸島と共に、内海八代湾を形造って居る。この宇土半島の西端と天草上島の北端との間に、大矢野島、千束島などの島が有って、不知火有明の海を隔てて、西島原半島に相対して居るのである。
天正十五年、豊臣秀吉が薩摩の島津義久を征した時、九州全土に勢威盛んであった島津も、東西の両道を南下する豊臣勢には敵すべくもなく、忽ち崩潰した程であるから、沿道の小名郷士の輩は風を望んで秀吉の軍門に投じたのであった。
秀吉は此一円を、始め小西行長に属せしめたが、郷士土民はよく豊臣の制令に服従した。
徳川の天下となった後も、これらの郷士の子孫達は、豊臣の恩顧を想って敢て徳川幕府に仕うる事なく、山間漁村に隠れて出でようとはしなかったのである。
行長の遺臣益田甚兵衛好次はそれら隠棲の浪士の一人である。始め肥後宇土郡江辺村に晴耕雨読の生活を送ること三十余年であったが、寛永十四年即ち天草島原の切利支丹一揆の乱が起った年の夏、大矢野島に渡り越野浦に移り住んで居た。元来行長は切利支丹宗の帰依者であったから、その家臣も多くこの教を奉じて居たのであって、益田好次も早くより之を信じて居た。