일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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あねがわのかっせん

日本合戦譚

菊池 寛

菊池 寛의 日本合戦譚(あねがわのかっせん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 154,771자 · 313화면

아오조라 문고

賤ヶ岳合戦

清洲会議之事

清洲会議之事

天正十年六月十八日、尾州清洲の植原次郎右衛門が大広間に於て、織田家の宿将相集り、主家の跡目に就いて、大評定を開いた。これが有名な清洲会議である。

この年の六月二日、京都本能寺に在った右大臣信長は、家臣惟任日向守光秀の反逆に依って倒れ、その長子三位中将信忠も亦、二条の城に於て、父と運命を共にした。当時、織田の長臣柴田修理亮勝家は、上杉景勝を討つべく、佐々内蔵助成政、前田又左衛門利家、佐久間玄蕃允盛政、及び養子伊賀守勝豊以下を率いて、越中魚津に在陣中であった。本能寺の変が報ぜられたのは、同月四日の夜に入ってからであるが、陣中の周章は一方でなく、戦半ばにして、勝家は越前に、盛政は富山に引き退いた。又滝川左近将監一益も、武蔵野に於て、北条左京大夫氏政と合戦中であったが、忽ち媾和して、尾州長島の居城に帰った。更に森勝蔵長勝は、上杉家と争って居たのだが、信濃川中島へ退き松本を経て、美濃に退いて居た。さて最後に、羽柴筑前守秀吉であるが、当時、中国の毛利大膳大夫輝元を攻めて、高松城水攻をやっていたが、京都の凶報が秀吉の陣に達したのは、六月三日子の刻であるが、五日の朝まで、信長生害の事を秘して、終に毛利との媾和に成功した。