후리가나로 읽는 일본 고전
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あねがわのかっせん
日本合戦譚
菊池 寛
菊池 寛의 日本合戦譚(あねがわのかっせん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 154,771자 · 313화면
と云ったバテレンの予言は、此処に実現したわけである。城は二の丸まで押し破られたが、城兵も殊死して防ぎ、寄手の部将加津佐の三郎兵衛を斃したりした。既に城も危くなった頃、四郎時貞は不意に囲を解き、軍船海を圧して、島原に帰って行った。江戸幕府急を知って、征討の軍来る事近しとの報を受けたからであった。
板倉重昌憤死之事
江戸慕府へ九州動乱の急を、大阪城代が報じたのは寛永十四年十一月十日の事である。大老酒井忠勝、老中松平信綱、阿部忠秋、土井利勝等の重臣、将軍家光の御前で評定して、会津侯保科正之を征討使たらしめんと議した。家光は東国の辺防を寛うすべからずと云って許さず、よって板倉内膳正重昌を正使とし、目付石谷十蔵貞清を副使と定めた。両使は直ちに家臣を率いて出府した。上使の命に従うこととなった熊本の細川光利、久留米侯世子有馬忠郷、柳川侯世子立花忠茂、佐賀侯弟鍋島元茂等も相次いで江戸を立ったのであった。
さて天草から島原へ軍を返した四郎時貞は、島原富岡の両城を攻めて抜けない中に、既に幕軍が近づいたので、此上は何処か要害を定めて持久を謀るより外は無い、と断じた。