후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
なぜというと、そこにやがて常識の尊重を裏づけるに足る足場の一部分(今の場合に相応した一部分)があるからだ。
一方に於てこう考えられていると共に、常識は他方に於て、之とは一見殆んど独立に健全な見解、見地の健全性、というものとして理解されている事実があるのである。例えば日露戦争を知らなかった自然科学者は、その専門の自然科学界の常識(但し平均的知識という先の意味に於ける)を充分以上に持ち合わせているに拘らず、何と云っても非常識であることを免れまい。そういう意味での非常識は、この自然科学者の社会生活全体に就いての統一的な意味の、不完全さ、不具さ、病症を意味するのであり、彼の社会的見地見解の、不健康さを意味するのだ。之は尤も、何も彼のもつ所謂社会認識(社会科学的知識)などという専門的な知識の高低多少の問題ではない。そういう意味に於ける知識の高低多少なら、夫は第一に云った場合の常識に帰着するわけだが、今は夫ではなくて、云わば彼の「社会常識」というものが問題なのだ。社会常識が与える区別は、「子供」と「大人」であって、素人と社会科学者との区別ではないから。
ルーズに考えると、こういう「見解の健全性」