후리가나로 읽는 일본 고전
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あねがわのかっせん
日本合戦譚
菊池 寛
菊池 寛의 日本合戦譚(あねがわのかっせん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 154,771자 · 313화면
都合総勢三万である。浅井朝倉を退治した信長は、此一戦大事と見てオールスター・キャストで来ているのである。
家康(年三十四)は竹広村弾正山に、三郎信康(年十七)は草部村松尾大明神鎮座の山に布陣した。これが本営であって、左翼の先陣は大久保忠世兄弟、本多忠勝、榊原康政承り、右翼の軍には石川数正、酒井忠次、松平忠次、菅沼定利、大須賀康高、本多忠次、酒井正親等あり、総勢八千である。信長予てから武田の戦法を察し、対抗の戦略を立てた。元来信玄の兵法は、密集の突撃部隊を用いて無二無三に突進し、敵陣乱ると見るや、騎馬の軍隊が馳せ入ると云う手段であって、常にこの戦法の下に勝を収めて来たのである。信長は、この武田勢との正面衝突を避けた上に、新鋭の武器鉄砲を以て狙撃しようとした。これ信長の新戦術である。北は丸山、大宮辺から南は豊川の流れ近い竹広あたりまで二十余町の間、二重二重に乾堀を掘り土手を築き、且つ三四十間置きに出口のある木柵を張り廻らしめた。この土手と柵とに拠って武田勢の進出を阻み、鉄砲で打ちひしごうと云うのであるが、岐阜出陣の時、既に此の事あるを予期して、兵士に各々柵抜を持たしめたと云う。