일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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まきのとみたろうじじょでん

牧野富太郎自叙伝

牧野 富太郎

牧野 富太郎의 牧野富太郎自叙伝(まきのとみたろうじじょでん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 94,045자 · 185화면

아오조라 문고

「植物学雑誌」の創刊

池野については、別に詳しく述べることにする。

東京の生活が飽きると、私は郷里へ帰り、郷里の生活が退屈になると、また東京へ出るという具合に、私は郷里と東京との間を、大体一年毎に往復した。

市川延次郎(後に田中と改姓)・染谷徳五郎という二人の男が、当時選科の学生で、植物学教室にいたが市川は器用な男で、なかなか通人であり、染谷は筆をもつのが好きな男だった。私はこの両人とは極めて懇意にしていた。市川の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに行った。

「植物学雑誌」の創刊

ある時市川・染谷・私と三人で相談の結果、植物の雑誌を刊行しようということになった。原稿も出来、体裁も出来たので、一応矢田部先生に諒解を求めて置かねばならんと思い、先生にこの旨を伝えた。

その時矢田部先生がいうには、当時既に存在していた東京植物学会には、まだ機関誌がないから、この雑誌を学会の機関誌にしたいということであった。

このようにして、明治二十年私達の作った雑誌が、土台となり、矢田部さんの手がそれに加わり、「植物学雑誌」創刊号が発刊されることとなった。

白井光太郎君などは、この雑誌が続けばよいと危惧の念を抱いていたようだ。