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つばくろ

つばくろ

山本 周五郎

「講談倶楽部 秋の大増刊」大日本雄弁会講談社、1950(昭和25)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,987 字 · 44 页

青空文庫

初めてその饅頭を食べたときの、三之助の嬉しそうな顔は、おいちには長く忘れることができなかった。……高雄の母のとりなしで、青野へひきとられてから、おいちはもう三之助を訪ねることはできなかった。新らしい生活を身につけることでいっぱいだったし、時の経つうちにしぜんと忘れていった。そうしておいちは紀平家の嫁になったのである。

今年の一月の下旬、おいちは大助の虫封じに泰昌寺へ参詣をした。その帰りに三之助に呼びとめられ、彼に強いられるままに、蘆谷河畔の伊丹亭という料亭にあがった。

三之助はひどく痩せて、蒼白い顔になり、しきりに咳をしていた。彼は初めから昂奮しておちつかないようすだったが、坐ってまもなく思い詰めたような表情で、意外なことを云いだした。

――私は今では逃亡者なんです。

彼はまずこう口を切った。前の年の暮に彼は婿の話しが定った、先方は江戸邸の者で、五石三人扶持くらいの徒士だという。それもいいが話しの纏めかたが乱暴で投げやりで、下僕たちまでが「厄介ばらいだ」などと蔭口をきいていた。そして正月になるとすぐ、若干の金を呉れ、殆んど着のみ着のままで、江戸邸のこれこれという者を訪ねてゆくようにと、命令するように云われたのであった。