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ひやめしものがたり

ひやめし物語

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1947(昭和22)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,861 字 · 31 页

青空文庫

けれども、頭の中のなにか廻るような感じはそれとは無関係だった。くるくる廻るものの中に、やがてひょいと花が浮び上った、それは桔梗の花のみずみずしい紫である、「縁組」という言葉を聞いて、初めて、記憶の底に沈んでいたものが、甦ってきたのだ。

「厭ですよ」彼はこうはっきりと云った、「断わって下さい」

「大四郎さん」母親がまずびっくりした、「あなた、考えなしにそんなことを云って……」

「考えるまでもないんです、私は婿にゆかなくともよくなったんですから。まだ表向きには云えないんですが、もうすぐ奥小姓にあげられて、正経閣へ勤めるようになるんです」

「なんだって」こんどは兄がびっくりした。

「お母さん、様と寝ようか五千石取ろか、というのを知ってますか」彼はそこを立ちながらこう云った、「私もやっぱり嫁を貰いますよ」

翌朝はやく、大四郎は中村の三兄を訪ねた。いつかの話の娘に、改めて求婚する依頼である、その時初めて知ったのだが、相手は郡奉行所に勤める深美新蔵という者の妹で、名はぬひ、年は十七ということだった。次兄はすぐに深美へゆき、縁談はすらすらと纒まった。然しそのひと月は、おそろしく多忙だった。