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みずぐるま
みずぐるま
山本 周五郎
「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,077 字 · 54 页
その夜半から降りだした雨が、明くる日いっぱい降り続けた。霧のようにこまかい静かな降りかたで、気温も高く、いかにも春雨という感じであった。若尾はその雨の中を歩いていた。朝早く、ふらふらと中邸から出て、そのままずっと歩いていたのである。――まえの夜は殆んど眠れなかった。修理には「よく考えてみる」と云ったが、考えてみる余地はなかった。考える余地などは少しもないように思えた。
――あの人はみんなに話すわ、あの人はみんなに触れまわるに違いないわ。
頭の中で絶えずそういう声がした。自分の声ではなく、誰かがそこにいて、そっと呼びかけているようであった。それは慥かなことであった。谷口修理は若尾の素性を話すに相違ない、「私はそんな人間ではない」という言葉がそれを証明している。修理は必ず饒舌るだろう、必ず。
――出てゆくんだ、あたしがいてはあの方が不幸になる、邸にいてはならない、出てゆくんだ、誰の眼にもつかないところへ。
雨がさっと顔にかかった。若尾は立停って傘を傾けた。風が出たかと思ったが、いますれちがった人に呼びとめられたのであった。それは若い男の二人伴れで、揃いの双子唐桟の袷に角帯をしめ、蛇の目傘をさしている二人は、すれちがった処で足を停め、若尾のほうへ振返っていた。