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ノア

ノア

久生 十蘭

「富士」1950(昭和25)年2月号~4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 77,285 字 · 153 页

青空文庫

「じゃ、すぐ出ますから」

牧田が外套と帽子を着せてくれた。

「手錠は冷えるから、こういうぐあいに、両手をズボンの腹ンところへ押しこんで」

玄関を出て、ビュイックの大型のセダンに乗ると、すぐ車が走りだした。

どこかに夜明けのきざしが感じられるが、町並はまだ夜で、枝だけになった街路樹の間に、遮蔽した常夜燈がぼんやりと光を流していた。

「眠かったら、凭れて眠ってよろしい」

山内はいわれたように、背凭に頭を凭せて眼をとじた。

どれくらい眠ったか、おいおいと、突っつかれて眠りからさめると、羽田空港の玄関にいた。待合室を素通りして飛行場へ行くと、ダグラスがスタート・ラインについて始動していた。霧に濡れた滑走路に赤や緑の障害燈の光が映っているのが絵のように美しかった。

座席について室房を見まわすと、一人ずつ憲兵が附添った、おなじ運命の人らしいのが、七組ぐらい居たが、暗くて顔が見えなかった。

間もなく、身体が綿に包まれたような感じがしたと思うと、ダグラスはもう空港を飛び出していた。ようやく東のほうが白みそめ、横浜の市街が、明日はどうなるかわからぬ、無常のすがたのまま、黒々と眼の下にひろがっているのが見えた。