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みょうじのはなし
名字の話
柳田 国男
「斯民家庭 第二編第七号、第九号、第一〇号、第一一号」報徳会、1911(明治44)年7月1日、9月1日、10月1日、11月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,823 字 · 46 页
名字と地名との関係断絶の理由
、もしまた奉公が厭なら普通の長百姓の通りに年貢を納めよと、二つの方法を選択させた。この場合における地侍の態度はたいてい一様であった。祖先伝来の鎗刀が捨てたくなさに、兄弟または親子の一人は出て仕えた。また本領の土地を捨てるが悲しさに、他の一人は止まって農となり、その末裔は多く名主または庄屋となった。後年諸侯が貧乏をして、田舎の豪農から献金などをさせ、その賞与としてほかにやるものもないから、名字を名乗ることを許し、あるいは刀をさすことを許したので、人民の方で非常に嬉しがったのは深い仔細のあることで、いわゆる二字帯刀御免の制度は、地方の旧家をして久しく失っておった地侍の旧特権を、回復させたのだから嬉しかったのである。
名字と地名との関係断絶の理由
三百諸侯の中には、三百年の間同じ領地を保っておった家もないではないが、その大半は三度も五度も国替・城替があったのである。この場合には最初の領地から出でて仕えたる地侍の一族は、主人に随って東西南北に移住して歩いた。
前田家は永くその領地を替えなかったけれども、その藩士の名字を見ると、加賀・能登・越中の地名を帯びているものももちろん多いけれども、そのほかにもあるいは越前在府の時に召し抱えられて越前の村の名を名字としている者、さらに尾州荒子の時代から仕えておった奥村家のよう