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みょうじのはなし

名字の話

柳田 国男

「斯民家庭 第二編第七号、第九号、第一〇号、第一一号」報徳会、1911(明治44)年7月1日、9月1日、10月1日、11月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,823 字 · 46 页

青空文庫

今日の多くの人の命名の由来

十女・十一女に至っては何と呼んだか。今日の文書には残っていないけれども、なんらかの方法によって名以外のものを呼んだに違いがない。男はもし腹異いなどが多くして、十郎以上になれば、十一郎・十次郎とも呼べば、または余一・余二とも呼んだのであります。那須与一、真田与一は、与の字を書いたけれども実は余一で、十一男の事であります。戸隠山で鬼女を退治した平惟茂を余吾将軍と呼ぶのは、祖父貞盛の養子となって、長幼の順序が十五番目であったからであります。

今日の多くの人の命名の由来

右の慣習は曾我五郎・十郎の頃になると、そろそろ壊れはじめてほぼ今日の通称に類似して来ましたけれども、それでも原則としてはまず前述の方法を採って、近世に及んだことは人の知る通りであります。しかし人がようやく殖えて来て、一つの邑落に八十戸百戸の人家が集り、または三里五里の隣村と交際するようになっては、そもそもかくのごとき単純な方法では、同年輩の若者を弁別することができなくなりました。それでも京都に住んでいる官吏はもちろん、一廉の家柄のものならば、一代に二度三度京都に勤番をして、名誉官を拝命して帰って来るから、当然これをもって他人と区別することができたけれども、微々たる平民に至っては、やはり八丈島ないしは露西亜・諾威の旧慣のように、父の名でも頭に付けなけれ