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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

08 第八分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 192,758 字 · 383 页

青空文庫

そして何か求めるように手をうごかした。

「……何でござりますか。……何ぞ?」

「やたて」

「矢立と仰せなされますか」

茂朝はいそいで鎧の袖から懐紙と矢立を取り出した。

おぼつかない指先に、光秀は筆を持たせてもらった。そして白い紙のうえを睨まえた。

(さては辞世を書きおくお心とみえる)

茂朝は胸の塞がる気がした。今ここで光秀にそんなものは書かせたくないと思い募った。大きな運命というものへ対して、彼の執着は無性な反抗を心のうちで試みていた。

「殿。殿。……かいないお筆をお取り遊ばしますな。大津まではもう一息、そこまで辿りつけば、左馬介光春様にもお迎えに見えられましょう。……さ、傷口を巻きましょう」

と、懐紙を地に置いて、わが帯を解きにかかると、光秀はふいに、愕くべき力でその手を振った。

そして左の手をつかえ、地上の白紙へ向って右手を伸ばすと、筆の腰も折れるばかりな力で、

順逆無二門

と書いた。

――が、次の文字は、もう手のふるえが烈しく書けないらしいのである。光秀は茂朝に筆を渡して、

「あとを書け」

と、云った。

「…………」

茂朝の膝に凭れたまま、光秀は、面を天に向けた。