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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
それはここに用いられた表現が文芸的であって思惟するよりも直観することを必要とするゆえのみではない。道元の文章は自在に文芸的表現を活用するとはいえ、大体として概念による論理的表現である。が、論理的に現わされた真理といえども、ただ抽象的に概念の推理によるのみでは捕捉され得ない。そこにはこの真理の生きた力を捕捉すべき知的直観が必要である。この契機を力説するために道元は仏と仏との面授面受を説く(正法眼蔵面授)。真理を体得し実現せる人を目のあたりに見、また見られることによってのみ、真の捕捉理会が可能になるというのである。もとよりここにいうところの「見る」は、心眼をもって見るのであって、単にただ感覚的に見るのではない。霊山会上に釈迦が優曇華を拈じて目を瞬くのを見たのはまさに百万衆であった、が、この時真に見たのはただ摩訶迦葉一人である。他の百万衆は見て見なかった。けれどもまた、心眼をもって見た迦葉尊者といえども、感覚的に見なかったのではない。感覚的に見ることによって心眼で見ることが可能になるのである。かくのごとく知的直観が「感覚的に見ること」と結合させられる点に、恐らく「人格に具現せられた智慧」