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こよみ

暦

壺井 栄

「新潮」1940(昭和15)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 56,332 字 · 112 页

青空文庫

船に乗っている間にも時々出してきては藪入りの子供のような気持で手入れをしていたそれらの諸道具は、皆錆びもせずに貞節な妻のように重吉を待っていた。こわれた桶や輪の切れた盥をかかえた人たちが、家の前の細道をわっさわっさと押しかけてきた。昔のあの広い仕事場にかわる土間の隅や、時には縁先の空地に莚を敷いて、重吉は昔のとおりねじ鉢巻で、とんことんこと桶をたたいて鼻唄を歌った。

文明開化の分らぬ人は、横文字煎じてのめばよい――

クニ子や実枝がおかしがって笑いこける。唄の文句は昔のままであるが、その声は語尾がふるえているのをいねは床の中で聞いた。若い時は咽喉自慢でこが立てなどにはいつも重吉は大声をはり上げて音頭をとった。何十石という大こが(醸造用の大桶)に足場を回らし、その日はお互いに助け合う同業の桶屋といっしょに、こがのまわりをぐるぐる回りながら、重吉の音頭に合せて大きな木槌はどどん、どどんと打ち下され、またふり上げては歌う、人々はそれを取りまいて眺めたものである。――

ある日、

「親方」

そういって真先にやってきたのが、今は大きな醤油会社の製樽部の頭をやっている弟子の正太郎であった。