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こよみ

暦

壺井 栄

「新潮」1940(昭和15)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 56,332 字 · 112 页

青空文庫

そのわずか半匙にも足らぬ重湯にむせて、いねは息の根が止るほど苦しがったことがあった。お母さんが死ぬ、と思わず泣き叫んだ、その茶碗である。実枝は洗い終ってなみなみと水をそそぎ、樒の花を摘み入れた。

「皆が実枝に、松江い行け行けいうせに行くんで。お母さんが安心するいうせに行くんで」

やけくそのような声でいう実枝の袖をクニ子はぎゅっと引いた。そんなこというものでないとでもいう怒った顔なのに涙ぐんでいた。

「お母さん嘘で、実枝は勉強して、偉ろなって戻ってくるで」

そういわれると実枝もその気になり、

「夏休みまで、お母さんさよなら」

と、子供らしく頭を下げ、位牌に何べんも水をかけた。供物目あてに新墓を荒す烏が、すぐ近くの墓石の上からこっちを見ている。しっ! と柄杓を振り上げると、烏はガワガワと羽音を立てて軍人墓のある山の方へ飛んでいった。夕やけに照らされて山も木も橙色に輝いてまぶしかった。村じゅうの見わたせるその丘の上から見下す静かな入海も夕陽を受けて金色に光っている。クニ子は取りかえた古い花を片づけ、バケツの残り水をぱっと勢いこんで道へ撒いた。はあ、と息をつき、実枝と並んで沖の方へ手をかざした。