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こよみ

暦

壺井 栄

「新潮」1940(昭和15)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 56,332 字 · 112 页

青空文庫

そんなことも忘れるともなく忘れてしまっていたその年の夏の初め、臨終のせまった息の下で重吉は実枝をよびつづけ、

「実枝か、たけや、たけや」

という。その意味を汲みとれず、実枝は手足をさすりながら、

「お父さん、辛いか、実枝が分るか」と、顔を近づけた。そのたびに重吉は目を開き、濁ったような視線ではあるが、はっきりと実枝を認めてうなずきながら、

「たけくれ、実枝、たけくれ」と繰りかえす。枕元に並んでいた人たちは、何だろう、たけというからにはやっぱり樽屋の竹でも夢うつつに考えとるんかな、と小声でいい合った。実枝は今は重吉の最後の望みらしいのにたけの意味が解けぬもどかしさで、手をかきむしる思いをし、解せぬままにただ実枝が分るか、実枝が分るかと重吉の意識を試すのであった。そのたびに重吉は実枝の顔に見入って、分る、とうなずいた。実枝は小首を傾げ、しかたなくまた手や足をさすりつづけた。骨ばかりのようにやせ細ったといっても、頑丈な体格の重吉は自分で自分の体をもて扱っているらしく、寝返りを打った時にねじけたままのようになっている足を実枝は真直ぐに直し、寝衣の前を合せた。隼太の古着である紺絣を着ている姿はサンタ・クロースの面をつけた若者のようであった。