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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

「いかような事実があろうともです」

「そのほう怖れているな」と綱宗は云った、「そのほうは事実を知っている、おれがなぜ逼塞になったか、その裏にどんな策略があったか、その策略が誰の手から出たものか甲斐にはよくわかっている筈だ」

「お部屋さま」と甲斐ははつ女を見た。

人ばらいの必要はないか。という意味である、はつ女は淋しげに微笑し、「どうせ同じことです」という意味のことを云った。

「もちろんだ、聞くなら聞け」と綱宗はたか声になった、「おれは身を慎しんでいた、酒もずっと飲まなかった、それがどうして酒を飲みだしたか、誰が飲むきっかけを作ったか、甲斐は知らない、甲斐はそのとき船岡だった」

「私も聞いております」

「浜屋敷のことをか」

「お席から遠い端に、里見十左が詰めておりました」

「遠くでわかるか」と綱宗はつよく云った、「浜屋敷は普請祝いであった、祝宴が設けられて、おれが盃を三つで置くと、大学が飲めとすすめた、もう家督もすんで六十万石のあるじになったのだ、いまこそ誰に憚ることもない、充分に飲めとすすめたのだ、十左はそれを知っていたか」

「彼はそのように申しました」

「おれは弱い人間だ、特に、酒に対して弱い人間だということは、おれ自身がよく知っている、だから慎しんでいたのだ」