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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

里見十左衛門はむずかしい顔をして、まっ四角に構え、七十郎は蜂谷になにか話していたが、おくみが来て坐ると「お」と云った。

「今日は客なんだ」と甲斐が云った、「たまには女客もよかろう」「お酌をいたしますわ」「いや坐っておいで」と甲斐が云った、「おくみは今日は客だ、七十郎などは酌をする義理があるんじゃないのか」「義理はともかく酌はよろこんでしますね」と七十郎が云った。

おくみは十左と蜂谷に会釈をした。二人はそれぞれ会釈を返した。かれらはみなおくみを知っていた。おくみの湯島の家で、しばしば馳走になっているので、甲斐とおくみとの片づかない関係もわかっていた。しかし、ここで彼女に逢うのは初めてであった。

「里見さん怒らないかね」と七十郎が云った、「藩家の大変で、重臣諸公は蒼くなり、会議、密議とごった返しているのに、ここでは朝から酒肴をならべ、おまけに美人まで御臨席とある、これで里見老の怒らない道理はないと思うがね」

「それなら自分で怒ったらどうだ」と十左が云った、「私は昔から船岡どのをよく知っておる、会議だの寄合いだのと騒ぐばかりが能ではない、船岡どのがどういう人物であるかは、そこもとなどには理解の外のことだ、いやなら退席するがいいだろう」