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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

宇乃は悲しげな眼をした。

「そのなかでも、木がいちばんよくものをいう」と甲斐はつづけた、「いまに宇乃が船岡へいったら木がどんなにものを云うか、私が教えてあげよう」

「はい、おじさま」

「この樅ノ木を大事にしてやっておくれ」と甲斐は云った、「この木は育つようだ、これまで移したのは枯れてしまったが、こんどはうまく育つようだ、宇乃が此処にいるあいだは、この木を大事にしてやっておくれ」

「はい、おじさま」

すると虎之助が云った、「坊も大事にする」

「坊も大事にするか」

「大事にする、坊は木を揺らないよ」

「えらいな――」

甲斐は微笑した。それから、左手で、またやさしく宇乃の躯をひきよせた。

「宇乃、この樅はね、親やきょうだいからはなされて、ひとりだけ此処へ移されてきたのだ、ひとりだけでね、わかるか」

宇乃は「はい」と頷いた。

「ひとりだけ、見も知らぬ土地へ移されて来て、まわりには助けてくれる者もない、それでもしゃんとして、風や雨や、雪や霜にもくじけずに、ひとりでしっかりと生きている、宇乃にはそれがわかるね」

「はい――」

「宇乃にはわかる」と甲斐は云った。彼はふと遠いどこかを見るような眼つきをした。