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わたしのりれきしょ

私の履歴書

井上 貞治郎

――放浪の末、段ボールを思いつく

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 34,380 字 · 69 页

青空文庫

この店はかん詰めもつくっていたので、夜は夜でかん詰用のナタ豆まできざまされる。

しかし私がいちばん困ったのは『エーつけ物やつけ物……』の売り声がまるきり出ないことだった。初めのうちは小さい声で回っていたが、それこそ落語にある「与太郎のかぶら売り」みたいなもので、さっぱり売れない。「これではならじ」と、ある日家のまばらな日清紡績裏の空地に立って、声をふりしぼって売り声の練習をした。するとこれを聞きつけたのか、浪花節語りの前座だという若い男が出てきて、二人が競争で声を張りあげたものである。しかし練習してもだめなものはだめである。声を張りあげるほど、つけ物がくさるように思えて、われながら情なかった。そんなありさまだからつけ物はてんで売れず、ここもクビ。

六月になるというのに、またもや満州以来のぼろ冬服に着替え、しおれ切って店を出ようとすると、出戻り娘のお光ちゃんが物かげから手招きしている。そして私の手に電車の片道券をそっと握らせてくれるのだった。行暮れて人の情が身にしみる。彼女のほのかな好意は、私の心に通じるものがあった。押しいただいたものの、切符を使ってしまうのが惜しく、私はしとしとと降る梅雨の町へ、はだしで歩き出した。