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ぼんじんでん

凡人伝

佐々木 邦

「雄辯」大日本雄辯會講談社、1929(昭和4)年4月号~1930(昭和5)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 98,944 字 · 202 页

青空文庫

黙っているに限る。神田を訊いた理由は長谷川さんを思い出したのだった。去年事情あって半途退学をした同級の年長者長谷川さんは神田で牛乳配達をしながら夜学校へ通っている。

人間の記憶は不思議なものだ。私は唯今筆を執りながら、犬殺が犬を殺すところを頭に描いている。それは新橋から青山までのこの初めての車上で目撃した光景だ。或商家の天水桶の側だった。一人の男が、尾を振っている犬に近づいて何か与えたと思うと、背後に匿し持っていた棒でガクンとやった。犬はった。犬殺は幾つも続けさまに撲った。私は無論、俥屋もその方へ注意を惹かされた。折しもあれ、

「はあい!」

という声がかゝった。馬車だ。而も二頭立てだ。私は初めてこんな立派なものを見た。内には容貌魁偉の将軍が乗っていた。日清戦争実記以来写真銅版でお馴染の痘痕面だった。

「大山大将だね」

と私は直ぐに分った。

「然うですよ」

と俥屋が言った。犬殺と将軍、何年も忘れていたことを不図今目の前に思い浮べたのである。それは然うと、一時間近くも乗って、この車賃必ずしも高からずと合点が行った頃、私は年来の目的の明治学園に着いた。

煉瓦造りの西洋館ばかりだとは占部牧師から聞いていたが、建物の素晴しいのには実際驚いた。