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みょうじのはなし
名字の話
柳田 国男
「斯民家庭 第二編第七号、第九号、第一〇号、第一一号」報徳会、1911(明治44)年7月1日、9月1日、10月1日、11月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,823 字 · 46 页
俵藤太秀郷の一族
ほかに南には小山田とか稲毛とか、北には秩父などいう豪族が何軒もあって、いざ開墾が始まるとなると、競うて下受権を獲得し、どしどしと次男三男の輩を分家させたのであります。ゆえに今日になっても右の手に七党の系図を持って、左の手に精密な地図を持って当って行くと、開墾の順序、分家のありさまがきわめて明瞭に分るのであります。たとえば児玉家の総領は児玉の本荘、すなわち中仙道の本庄附近におり、横山の族長は今の八王子の北部に住んで、その分家は皆附近の村に住んでおった。
俵藤太秀郷の一族
関東から奥州にかけて有名であった秀郷流の藤原氏というのは(私もその子孫たるの名誉をもっているけれども)、実はこの特権開墾権の運動の都合上、藤原家の若殿を娘の聟に取った下野辺の判任官位の家柄であって、ことによると「アイヌ」であるかとも思う。この中興の祖である秀郷のごときは、三上山の百足を退治した時代には、近江に近い山城の田原に住んでいて、藤原家であるところから田原の藤太秀郷と称していたが、その生国は下野であったために、名田の大部分はむしろ関東にあって、その子孫は上州の太田に住んで太田家となり、下野の小山に住んで小山家となり、下総の結城に行って結城家となったばかりでなく、さらに相州にも立派な根拠地を持って、今煙草のできる秦野に住んで波多野家となり