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よるのこうず

夜の構図

織田 作之助

「婦人画報」1946(昭和21)年5月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 62,068 字 · 125 页

青空文庫

帰って行く姿と、颯爽と大きな帽子をかぶって、第一ホテルへやって来た姿を、同時に想い出していた。

一人の女を見ながら、その女のさまざまな環境での姿を同時に想い出している――これはもう、その女にのっぴきならない愛情を感じている証拠でなくて何であろう。

「――惚れたかな」

信吉はもう一度呟いた咄嗟に、さっきのラブシーンの一幕に――というより、新内流しの情緒に、あれほどだらしなく陶酔して、われを忘れたのは、冴子へのなつかしさがひそかに心の底にあったせいだろうと判った。

が苦笑しなかった。

むしろ、抒情的な音楽を聴いたあとのような甘い後味が残り、唇の間からちょっと舌を覗かせて、照れ症らしく天井や壁をにやにや見ながら話をする冴子の癖がもはや何ものにもかえがたいもののように思われるのだった。

「――惚れた。たしかに惚れた」

そう何度も呟きながら、しかし信吉は、ただ惚れているような気がしているだけだということは暫く気がつかなかった。

いいかえれば、自分がこんなに冴子に惹きつけられているのは、冴子の唇にすらまだ触れていないためだ――ということに気がつかなかった。

信吉が今日の昼間口づけをしなかったのは、情熱のない行為は唐突であってはいけない。