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しっちょうき
失蝶記
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」文藝春秋新社、1959(昭和34)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,072 字 · 44 页
聴力を失ってから、考えることが心の内部へ向くようになっていたためでしょうか、子供っぽい云いかたかもしれないが、赤くふくらんだ石楠花の蕾を見たとき、しんじつ胸の奥に火でも燃えだすような感じがしたのです。――ちょうど五年まえ、上町にあるあなたのお屋敷の裏を、私は杉永幹三郎と話しながら歩いていました。ご存じのように、私とは少年時代からの親友で、ものごころのつくじぶんから、片時もはなれたことがないといってもいいでしょう。年は同じで、生れ月は彼のほうが半年ほど早かったが、彼は私を兄のように扱ってくれました。二人だけのときはもちろん、他人のいるところでも。そして、それを言葉にも態度にもはっきりあらわすのです。思い返してみると、育英館の塾で三年いっしょでしたが、そのころから始まったようで、たぶん彼の人柄のためでしょう、いかにもしぜんなものですから、私のほうでも知らぬまにそれを受入れる習慣が付いてしまったようです。癸亥の年の密勅の件からはじまったこんどの事でも、杉永がつねに私の意見を支持したため、われわれ同志の者の行動はよく一致し、離反者などは一人も出さずに済みました。