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しっちょうき
失蝶記
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」文藝春秋新社、1959(昭和34)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,072 字 · 44 页
これは彼の人に愛される性格と、すぐれた統率力によるものと云うほかはありません。――上町のお屋敷の裏を歩いていたとき、私と彼は十九歳になっていました。私たちは法隆和尚のことを話しながら歩いていたのです。ご存じのように和尚は、井桁、西郡ら重職の懇請によって招かれた藩の賓客であり、経典はもとより儒学、政治、経済にも精しく、なかなか非凡な人物なのですが、時勢に対する見識には合点のいかないところがあるのです。一例だけあげますと、そしてこの問題こそ重要なのですが、さきごろ一派の若侍たちが攘夷論を誤って解釈し、横浜港にある外人商館を襲撃しようとはかりました。幸い事前に発覚したので無事におさまったが、そのとき和尚はかれらを煽動し、「斬夷」の趣意を書いて与えたのです。この事情についてはあとで記すつもりですが、私は杉永に向って、法隆和尚を藩から遠ざけるがよい、ということを話していました。
二人はどこを歩いているかも忘れていたのですが、紺野家の裏へ来たとき、杉永がふと立停ってあなたに呼びかけたのです。そこは朝顔の絡まった四つ目垣で、その垣の向うにあなたが立っていた。白地になにかの花を染めた単衣と、朱と青の縞のある帯をしめ、素足に草履をはいて、洗ったばかりの髪を背に垂れておられた。