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ぶんかしじょうよりみたるにっぽんのすうがく
文化史上より見たる日本の数学
三上 義夫
三上義夫『文化史上より見たる日本の数学』。同一底本的分册已合并为一书。收入:文化史上より見たる日本の数学、芸術と数学及び科学、和算の社会的・芸術的特性について、数学史の研究に就きて。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 96,999 字 · 192 页
、長束正家は算用に明るいがために秀吉に用いられたということであり、これらのことは支配者たる武家の間に数学の必要が起きつつあったことを語るものである。
故に豊臣秀吉が毛利重能を朝鮮または明に遣わして算法を学ばせたという伝説があるのも、その史料が明瞭でなく疑わしいけれども、しかも数学の必要に迫りつつあったことを示すところの伝説と見てよろしい。重能は京都の二条京極の辺に住し、天下一割算指南の看板を掛けて教授し門人も多かったという。その門下からでた吉田光由は洛西嵯峨の角倉家の一族にして、著わすところの『塵劫記』は極めて広く行われた。この書はわが国で色摺版画の用いられた最初のものということであり、また絵なども多く入れられ、興味深い書き方をしたものである。広く長く行われたのも畢竟そのためである。外国との交通貿易や河川の開通や嵯峨本の印刷等に関して功績の著しい角倉一族から光由がでたのは偶然ではあるまい。光由は肥後侯細川忠利に聘せられて算術を教授したことがあり、没後には略伝を加賀候へ書いて差し出したことがあって加賀候との関係も思われるのであり、諸大名の間に数学を学ぶ必要も多少は感ぜられて来たのであろう。