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ぶんかしじょうよりみたるにっぽんのすうがく

文化史上より見たる日本の数学

三上 義夫

三上義夫『文化史上より見たる日本の数学』。同一底本的分册已合并为一书。收入:文化史上より見たる日本の数学、芸術と数学及び科学、和算の社会的・芸術的特性について、数学史の研究に就きて。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 96,999 字 · 192 页

青空文庫

二十三 江戸の数学と実験学科

江戸にいたのであった。

二十三 江戸の数学と実験学科

日本では実験の学科はまず何も発達しなかった。暦術でも観測を厳にして実験検証するということはあまりしないで、既知の事項へ数学を適用して算定するくらいのものであった。このような間に立って発達した数学は実用的のものではなく、芸術的に発達したのである。特に遊食の人の娯楽として発達するから益々その傾向が現われる。

しかるにこれに対して一つ注意すべき事実が認められる。徳川時代にも実験的の学科は幾らずつか現われてくるし、また多少発達もするのであるが、その発達の跡を見るに、芸術的の数学が江戸を中心として発達して、大阪辺ではよほど劣っていたに反して、実験的の学科は京阪といってよいか、むしろ西の方から起こったのではないかと思われるのである。これは精査を要することであるが、一、二の例をあげていうときは、貝原益軒は福岡から出で、将軍吉宗の天文観測の顧問になりかつ日本の楽律を作った中根元圭は近江の人で半ば京都におり、『解体新書』翻訳以前に実地に解剖を試みて得るところのあった山脇東洋は京都におり、日本の医学史上最も尊重すべき吉益東洞は安芸の人で大阪〔京都〕におり、天文の観測に最も意を注いだ麻田剛立は豊後の人でまた同じく大阪におり、その門下から高橋至時及び間重富のごとき大家が出で、