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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

ただそこに嬰児の肉体のあの柔らかい円さが生かされているゆえに、その大人の体としてのうそが仏菩薩の体としてのまこととなるのである。同じことは手足の細部の実に端正なつくり方や、あるいは胴の不自然な長さや、腰のつがいの非写実的な形などについても言えると思う。発達した筋肉を内に蔵しているとは思えない手足、正常な骨骼を内に蔵しているとも思えない胴腰、それらは大人としては不可能であっても、嬰児としては実に必然で、また実に仏菩薩にふさわしいのである。

ところで我々は、仏像や菩薩像において嬰児の再現を見るのではない。作家が捕えたのは嬰児そのものの美しさではなくして、嬰児に現われた人体の美しさである。それによって彼は、「嬰児」ではなくして「仏」や「菩薩」を表現する。従って仏菩薩像は、いかに嬰児の美しさを生かせているとはいえ、決して嬰児を印象しはしない。宇宙の根元的原理であるところの法の姿、その神聖さ、清浄さ、威厳、威力、――総じて嬰児の持たざる深き内容こそ、ここに現わされようとしているものなのである。すなわち仏菩薩像の作家は嬰児を通じて仏菩薩を現わそうとした。これはあのキリストの嬰児讃美の心持ちを、芸術において生かせたものではないであろうか。