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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
この際彼らが、その霊感を託するものをあらゆる人体の美のうちの最も超人間的な最も清浄な美に求めることは、そうしてその美を現世の汚れと苦しみとに染まること最も少なき嬰児の肉体において認めるということは、彼らに芸術家的本能を許す限り、承認していいことである。嬰児の肉体のあの無心な、天真な美を抽出し統合して、これをあらゆる悪と悩みとの克服者の姿に高める、――これはキリストのあの嬰児讃美にもかかわらず、ギリシアの流れをくむ美術家の何人もかつて試みなかったことである。そうしてまた「仏」や「菩薩」の理念を現わすに最も適した方法の一つである。我々はこの事の理解によって、あの寂然と坐しあるいはたたずむ仏菩薩が、何ゆえにあのユニクな深き美を示すかの理由に到達し得ようと思う。
が、ここで当然起こってくる疑問は、日本の彫刻家にこれほど意味深い創作力を認めていいかどうかである。彼らは伝来の様式を踏襲した。もし右に観察したごとき諸点がすでにインドあるいはシナの仏菩薩像においても認められるとすれば、白鳳天平の作家が自ら嬰児の美を生かせたということは直ちには許されぬであろう。そこで我々は右の視点から仏教芸術の全体を回顧してみなければならぬ。