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こよみ

暦

壺井 栄

「新潮」1940(昭和15)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 56,332 字 · 112 页

青空文庫

そのはげしい匂いでいねは目を開くのであったが、眠気の方はいねからすべての力を奪い去り、潮のひくような自然のかたちでいねをさらっていこうとする。

「ああ、こりゃいかん」

それを知っていて懸命に闘っているのだが、いねの声はうつつからしだいに消えてゆき、ついに努力を忘れはてて気を失ってゆく。それをせき止めようと必死なのはカヤノと八重であった。二人は大声で母親を呼びつづけた。かやがばたばた七輪を煽ぎながら、眠らすな、眠らすな、と叫ぶ。八重は暗の中を跣足で医者にかけだした。冬の真夜中で大儀そうな老医に八重は泣きついて何度も頭をさげ、手をひかんばかりにして連れてきた。部屋じゅう酢のこげた匂いがこもった中へ医者が来て、いねはようやくこちらのものになった。まるで生死の綱引のようであった。

「危なかったなあ」

老医は白いあご髯を撫で、それまで片隅に忘れられていた小さい赤ん坊をのぞきこんだりした。

そんな騒ぎがあったとも知らず納屋で朝を迎えたアグリやクニ子は、小鼻をひろげるような顔つきで足音を忍ばせながら母家へ入っていくと、祖母と姉たちも思い思いに炬燵に足を入れて、自分たちを忘れたようにぐったりと眠っている。