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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
01 第一部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页
甲斐は答えなかった。
「お酔いあそばすと、いつもあのとおりでございます、なにか手だてはないのでしょうか」
「さて――」と甲斐は眼をあげた、「私もおいとまをいただくとしましょう」
「原田さま」と藤井がふるえ声で云った、「あなたは、いまのごようすを、おいたわしいとは、お思いにならないのですか、なんとか手だてはないのですか」
「なにをです」
「殿さまを御本邸へお迎えするということです、このまま御隠居おさせ申すのは、あんまりおいたわしすぎます、なんとかお咎めを解く手だてはないのですか」
「私は評定役にすぎない」と甲斐は穏やかに云った、「そういうことには不案内でもあり、また口を出す立場でもありません」
「ああ、原田さま」
「これでおいとまをいただきます」
そして彼は立ちあがった。
駕籠に乗ってから、甲斐はふところ紙を出し、それで眼を押えた。駕籠が下屋敷の門を出て、すっかり黄昏れた街を、四五町ばかりゆくあいだ、懐紙で眼を押えたまま、彼はじっと息をひそめていた。
その月の末に、船岡で留守をしている家老の、片倉隼人から手紙が届いた。
――案じられた秋の収穫が思ったよりよく、年貢米もそろそろ集まりだしている。