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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
01 第一部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页
彼を正業につかせ、妻を娶らせて、尋常な生活がさせたかったのである。だが、政右衛門は妻はもらわなかった。いまでは酒もあまり飲まないし、遊侠の群とのつきあいもせず、くそまじめなくらい堅く稼いでいた。
去年から若い者も十五人になり、車坂のほうへ子店も出した。そうして、店をもつとき甲斐の出してやった金を、少しずつ返すようになった。
――お返し申すのではございません、旦那の御恩はお返しできるものじゃあございません、この金は預かっていただくのです。
政右衛門はそう断わった。自分は自分が信じられない、と彼は云った。いまは堅気で稼いでいるが、どんな機会にまたぐれだすかもしれない。いつかまたぐれだすような気がしてしかたがない、そのときのために預かっておいてもらうのだ。そういうふうに政右衛門は云った。
甲斐に断わられるか、怒られるかと思ったからであろう。甲斐は「そうか」と云っただけで、その金はすなおに受取っていた。
今年の三月、幕府から伊達家に小石川堀の普請が命ぜられたが、それ以来、甲斐はときどき政右衛門の駕籠を使うようになった。それは人の眼を忍ぶ密会のためで、甲斐はなにも云わなかったが、政右衛門は敏感にそれと察し、必ず供についた。