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しんだちどり
死んだ千鳥
吉川 英治
「婦人倶楽部 臨時増刊」大日本雄弁会講談社、1937(昭和12)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,539 字 · 32 页
藪椿
藪椿
裏藪の中に分け入って佇むと、まだ、チチッとしか啼けない鶯の子が、自分の袂の中からでも飛んだように、すぐ側から逃げて行く。
(おや、白い小猫?)
と、見れば、それは七日も前に降った春の雪が、思いがけなく、双つの掌に乗るほど、日蔭に残っているのだった。
『――町にも、町の人達にも、春が来ているのであろうに』
家の中に閉じ籠ったきりの良人の姿は、ちょうどそこの一塊りの雪その儘な――と彼女は思った。
墨江の耳には、世間の物音が、羨ましく聞えてくる。藪向うの屋敷でする朝からの稽古鼓や、歌舞伎町の遠い太鼓の音や――。江戸の屋根は、女のつつましさへ何か唆るように、ほの紅い昼霞にぼかされていて、空は飽くまで碧かった。
『御新造様、そこにおいでで御座いましたか。――表の京染屋でございますが』
後の声に、墨江はふり顧って、
『ア、菱田屋さんかえ、ちょっと待っておくれ』
蕗の薹を摘んだ小笊の中へ、藪椿を一枝折って、それを袂に抱えながら、彼女はわが家の台所口へ戻って来た。
京染屋の手代は、墨江に尾いて、板の間へ腰かけるとすぐ包みを解いて、
『まあ御覧くださいまし。あの無地のお召が、とてもよい小紋に染上がりましてな。