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ししゃのしょ

死者の書

折口 信夫

「日本評論 第十四巻第一号~三号」1939(昭和14)年1月~3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 62,340 字 · 126 页

青空文庫

その頃ちょうど、称讃浄土仏摂受経を、千部写そうとの願を発して居た時であった。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此世話が再また、紛れ入って来たのであった。

ふっと、こんな気がした。

ほほき鳥は、先の世で、御経手写の願を立てながら、え果さいで、死にでもした、いとしい女子がなったのではなかろうか。……そう思えば、若しや今、千部に満たずにしまうようなことがあったら、我が魂は何になることやら。やっぱり、鳥か、虫にでも生れて、切なく鳴き続けることであろう。

ついに一度、ものを考えた事もないのが、此国のあて人の娘であった。磨かれぬ智慧を抱いたまま、何も知らず思わずに、過ぎて行った幾百年、幾万の貴い女性の間に、蓮の花がぽっちりと、莟を擡げたように、物を考えることを知り初めた郎女であった。

おれよ。鶯よ。あな姦や。人に、物思いをつけくさる。

荒々しい声と一しょに、立って、表戸と直角になった草壁の蔀戸をつきあげたのは、当麻語部の媼である。北側に当るらしい其外側は、を圧するばかり、篠竹が繁って居た。沢山の葉筋が、日をすかして一時にきらきらと、光って見えた。

郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃き過ぎた色を、瞼の裏に、見つめて居た。