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むし
虫
江戸川 乱歩
一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页
ぬような場所(例えば公園の群集の中)では、彼は普通人の幾層倍も、大胆に放肆にふるまうものである。柾木が土蔵の中にとじ籠って、他人を近寄せないというのも、一つには彼はそこで、人の前では押えつけていた、自儘な所業を、ほしいままに振舞いたいが為であった。そして厭人病者の、この秘密好みの性質には、兇悪なる犯罪人のそれと、どこかしら似通ったものを含んでいるのだが、それは兎も角、柾木が芙蓉を憎みながら、彼女の芝居を見に行った心持も、やっぱりこれで、彼の憎悪というのは、その相手と顔を見合わせた時、彼自身の方で恥かしさに吐き気を催す様な、一種異様の心持を意味したのだから、芝居小屋の大入場から、相手に見られる心配なく、相手を眺めてやるということは、決して彼の所謂憎悪と矛盾するものではなかったのである。
だが、一方彼の烈しい恋慕の情は、芙蓉の舞台姿を見た位で、いやされる訳はなく、そうして彼女を眺めれば眺める程、彼の満たされぬ慾望は、いやましに、深く烈しくなって行くのであった。
さて、そうしたある日のこと、柾木愛造をして、愈々恐ろしい犯罪を決心させるに至った所の、重大なる機縁となるべき、一つの出来事が起った。