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きゅうけつき
吸血鬼
江戸川 乱歩
「報知新聞夕刊」1930(昭和5)9月30日~1931(昭和6)3月12日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 190,554 字 · 381 页
何年も何年も胴忘れしていたことを、ポッカリ思い出した感じだ。棺の中の闇と静寂とが、彼女の心に、不思議な作用を及ぼしたのだ。
三谷と全く同じ体臭の、もう一人の男とは、一体誰のことか。
読者は、この物語りの初めに、倭文子が青山の怪屋にとじこめられたことを記憶されるであろう。そこの地下室で、唇のない男に襲われた時、彼女が相手の身体から、全く初めてではない、よく知っている誰かの体臭を感じた。という事実をも記憶せられるであろう。
倭文子は当人と度々会いながらも、他事にまぎれて、今の今までそのことを忘れ果てていたのだ。それを、今、異常に鋭くなった嗅覚が、ふと思い出したのだ。
あれは三谷の体臭であった。唇のない怪物は、三谷青年と全く同じ体臭を持っていたのだ。
「マア、なんて馬鹿馬鹿しい暗合でしょう。本当に本当に、私の鼻は、気が違ってしまったのだわ」
鼻ばかりではなく、頭までも狂ってしまったのではないかと、あまりのことに、倭文子は空恐ろしくなった。
だが、読者諸君、この二つの不思議な匂いの一致は、屍臭と井戸の中の匂い、三谷の体臭と唇のない男のそれとの二重の符合は、果して倭文子の錯覚に過ぎなかったであろうか。