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ぞくほうしこう

差別の根源を考える

喜田 貞吉

喜田貞吉『差別の根源を考える』。同一底本的分册已合并为一书。收入:俗法師考、融和促進、融和問題に関する歴史的考察。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 147,985 字 · 289 页

青空文庫

そして自分は、この種の仏弟子を称して「声聞」と呼んだものと解するのである。

声聞とは言うまでもなく釈尊の声教を聞いて煩悩を断じ、進んで涅槃に入らんとするの徒で、縁覚・菩薩とともに仏徒三乗の一つである。声聞に対して縁覚とは、自ら飛花落葉を見て無常を観じ、その縁によって覚を開くの徒をいう。縁覚・声聞ともに自利のみを行じて、灰身滅智を終局の本懐とする者であるから、無上道を求めて仏果を冀うの菩薩の徒からみれば、自然にその下位に置かれてある。法華経の譬喩品には三車の例をもって、声聞は羊車に駕するが如く、縁覚は鹿車に駕するが如く、菩薩は牛車に駕するが如しとある。佐々木君が「鹿は只山林にのみ住するに反して、羊と牛とは人間と共に住す。同じく人間と共に住しながらも、羊の方は自のみを利する外は知らず、牛は常に他の為に働く。是と同じく声聞の業は自利にして、菩薩のみが独り利他の大行を行じて仏となる」と解せられたのは(『郷土研究』第四巻三号一四八頁)適切である。縁覚は俗間に与らぬものであるから、わが俗法師には関係が薄いが、声聞は菩薩とともに俗間に住して、しかもその間に高下の差があったとすれば、菩薩を高僧知識にあて、声聞を下賤の俗法師にあてるのは、まさに然るべきことであろう。