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あくまのもんしょう

悪魔の紋章

江戸川 乱歩

「日の出」新潮社、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 151,280 字 · 301 页

青空文庫

だが、相手は猫の前の鼠のように、もう身動きさえ出来ないらしく、ただ泣き出しそうな顔で、じっとこちらを見つめているばかりだ。

やがて、二人の顔と顔とが、一尺程の間近に接近した。相手の心臓の鼓動が聞えるかと思われるほどであった。それでも、相手はまだじっとしていた。

林はなぜか妙な躊躇を感じた。相手が可哀想になって来た。そのやつれ果てた、哀願しているような表情は、一生忘れられないだろうと思った。

しかし、躊躇している場合ではない。屋根裏に逃げ隠れているような奴を憐れむことはないのだ。彼は思い切って、サッと腕を伸ばすと、相手の手首を掴んだ。想像していた通り、非常にしなやかな細い手首であった。

すると、相手の目がキラッと光った。「これ程頼んでも許してくれないのか」と叫んでいるように感じられた。そして、その態度が突然一変した。こんな弱々しい奴に、どうしてこれ程の力があるのかと、びっくりするような烈しい勢いで、掴まれている手首を振り放した。

アッと思う間に、相手は本当に小兎のような素早さで、向うの闇の中に飛び退っていた。

ウヌ、逃がすものか。林はもう懐中電燈で照らしている余裕もなく、その方へ飛びかかって行った。