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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

「今夜もですか」

「茶漬で食おう」

食事を簡単に済ませると、もういちど着替えをして、六郎兵衛は出ていった。

「野中さんがみえたら、なんて云っておきますか」

「来はすまいが、来たら寺へいったと云っておけ」

「お寺ですって」

「云えばわかる」

そして彼は出ていった。

その夜半、新八は夢でひどくうなされた。断崖の裂け目にはいったまま、どうしてもぬけだすことができず、断崖が両方から圧迫して来て、いまにも圧し潰されるかと思うほど苦しい。殆んどみしみしと骨のきしむ音が聞えるくらいだった。おそらくごく短いあいだのことだったろうが、苦しさのあまり彼は呻き声をあげ、そして眼をさました。するとあまい香料がつよく匂い、自分が誰かに、上から抱きしめられていることに気づいた。まだ眠りからさめきらず、半ば悪夢のなかにいながら、彼は上から抱かれていることに気づき、その抱擁からのがれようとして、身をもがき、手を振ろうとした。しかし呻き声が出るだけで、身動きもできず、手は、まるで金縛りにでもされたように、まったく自由にならなかった。

「じっとしてて」と耳のそばで喘ぐのが聞えた、「じっとしてらっしゃいね、新さん、じっとしてるの、わかって」