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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
01 第一部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页
「さて、――」と安芸は声を低めて云った、「どうやらこれで、当面のことは切りぬけた、六十万石を寸断される危険は、いちおう去ったといってもよかろう、しかし終ったのではない」
甲斐は床の間を見ていた。
周防がじまんの、青磁の壺に、白い菊がいちりんしてあった。燭台の光からはなれた、暗い床の間で、そのいちりんの菊が、ひっそりと白く、この場の話しに聞きいっているようにみえた。
――もう菊が咲くのだな。
甲斐は心のなかで呟いた。
「岩ヶ崎(田村右京・このとき栗原郡岩ヶ崎一万五千石)さまはともかく、一ノ関を後見に据えたのは酒井侯の主張であろう、右京さまは篤実温順なお人で、とうてい一ノ関の敵ではない、六十万石を分割寸断する陰謀は、いちおう危機を避け得ただけで、決して消滅したのではない、決して」と安芸は云った、「外に酒井侯があり、一ノ関は伊達家のまん中へ、後見役という実権をもって坐った、問題はまぎれもなくこれからだ、しかも、老臣どもの多くが、いずれを敵ともわかち難く、信じて事を計りうる者は極めて少ない、困難なのはこの点にある」
安芸は二人を交互に見た。
「内と外と呼応する、敵の力の強大であることよりも、家中に信じうる者の少ない事実のほうが、われわれにとっては困難であり、むずかしいところだ。