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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

「どうしたのだ」と甲斐が云った。

達弥は黙って、膝の上の両手を、こまかくふるわせていた。

「なんのために死ぬのだ」

「申上げられません」と達弥が云った。

甲斐はまたゆっくりと茶をすすった。それから、茶碗を持った手を、膝の上におろし、低い静かな声で云った。

「奥が、達弥にいとまを遣ってくれ、と云ったことを知っているか」達弥は頭を垂れた、「なぜいとまを遣れと云ったか、その理由がわかるか」

「はい」達弥の声は低かった。

「そのために、死のうというのか」達弥は黙っていた。

「その理由のために、おまえは死のうとしたんだな」

「――はい」

頭を垂れた達弥の眼から、涙がこぼれおちた。彼は手の甲でそれをぬぐった。

「達弥、おまえは、このおれをなんとおもう」

「三世までの、ただ一人の、御主人とおもいます」

「そのおれがゆるさぬのに、おまえはなぜ死のうというのか」

「おゆるし下さい」達弥は崩れるように、両手を畳について泣きだした、そして、泣きながら云った、「理由も申上げず、お心にそむいて死ぬのは不忠のかぎりですが、どうしても生きてはいられないのです、どうしても、生きてはいられないわけがあるのです」