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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

丹三郎は色を変えた。

「そんな筈はない」と彼は云った、「屋敷から迎えの来る筈はない、そいつは偽せ者だ」

「なんでございますって」

「駕籠はどっちへいった」と丹三郎は叫んだ。

話し声を聞きつけたのだろう、勝手口からおきわが覗いた。

弥吉は「出るな」というふうに、片手を振りながら、丹三郎に向かって、駕籠はおなり道のほうへいった、と答えた。

「私どもは門までお見送りしたのですが、たしかに御本邸のほうへゆきました」

「私は追いかける」と丹三郎が云った、「済まないが中屋敷へ知らせてくれ、いや待て」彼は唇を噛んだ。

誘拐者が誰だかわからない、迂濶な者には知らせられないぞ。そう気づいて彼は首を振った。

「よし、その必要はない」

「わしもまいりましょう」と弥吉が云った。

丹三郎はもう走りだしていた。

御成門を出ると馬場があり、そのさきは武家屋敷がつづいている。真向から吹きつける風のなかを、丹三郎はけんめいに走った。けれども駕籠は見えなかった。その道はまっすぐ東へ通じているので、ゆく駕籠があれば見える筈である。切通しかもしれない、と丹三郎は思った。それとも芝の通りか、彼は立停った。