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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
01 第一部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页
「彼はそういう人間だ」
――一家ぜんぶが心服しきってるようです。
「彼はそんなふうに人を深入りさせる男だ」
――それだけでございます。
「待て、くみはなんの用があって来た」
――忘れておりました、昨夜あの方の御内室が出府されたということです。
「原田の妻がか」
――くみはそれを知らせに来たのです。
「彼の妻がなんで出て来た」
――くみの申すには、江戸で良医の治療をうけるためだと申しておられるが、病気のようにはみえないということでした。
「彼は知らなかったのだな」
――知っているようには思えませんでした。
「おれは彼の妻を知っている」
――はあ。
「あれはいまの玄蕃の姉に当っている、茂庭家の娘だ、おれは松山の館で、まだ少女だったあれを見た、顔だちの美しい賢い娘だった」
――私はまだおめにかかったことはございません。
「どういう供立だ」
――中黒達弥という若侍と、ほかに二人ということで、供立は略式のようでございます。
「もちろん無届けであろう」
――糺しましょうか。
「みていよう、いそぐことはない、但し網の目からもれぬようにしろ」
――湯島へ人を増しましょうか。
「必要に応じてやれ、よほど気をつけぬとさとられるぞ」