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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
01 第一部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页
律がそう云ったとき、襖の向うで声がし、若い小間使がはいって来た。律は良人からはなれた。小間使は礼をし、律の着替えを手伝うために坐った。
律の着替えが済むと、小間使はいちどさがり、つぎに、もう一人の小間使が、大きな水盤を運んで来て、夜具の枕もとのほうへ、三尺ほど離して置いた。その水盤には玉石を敷いて水を満たし、若木の柳と葦とが活けてあった。
小間使たちが去ると、律は団扇を持って夜具の上に坐った。
「私はでかけなければならない」と甲斐が云った。律は片方に団扇を持ったまま、両手を良人のほうへさしのべた。
「人が待っているんだ」
「おでかけになるのですって」
「松山が待っているんだ」と甲斐が云った。
律はさしのばしていた手をおろした、「松山って兄でございますか」
「周防どのだ」と甲斐が云った、「国から涌谷さまが来られた、藩邸にはまだ内密で、小石川の普請小屋に周防どのとおられる」
「普請小屋ですって」
「堀普請のことは知っているだろう、周防どのは総奉行で、三日にいちどずつ吉祥寺の支配小屋へ泊られるのだ」
「涌谷さまがそんなお小屋へいらしっているんですか」
「二人で私を待っておられる」