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じろうものがたり

次郎物語

下村 湖人

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 178,724 字 · 355 页

青空文庫

すると、夫人がやっと彼に気がついたらしく、視線がぴたりとあった。次郎には、夫人の眼が悲しげに微笑しているように思えた。

先生の眼は、しかし、まだ生徒たちの群にそそがれたままである。彼はもうだめだと思った。その瞬間、夫人の白い手がだしぬけに窓からのびて、彼の方を指さした。先生に注意をうながしたものらしい。

やっと先生の眼が彼の方に注がれた。彼の胸は悦びにおどった。双方の視線は針金のように結びついた。しかし、次郎にとって、それは何という不思議な瞬間だったろう。彼は、先生の眼から、これまでかつて見たことのない、険しい、つめたい光がほとばしっているのを見たのである。

彼の視線は、石をぶっつけられた電線のようにふるえた。しかし、眼をそらしてしまうには、それは彼にとってあまりにも貴重な瞬間だった。先生の最後の眼、それがたとい彼の予期したものとは全くちがった眼であったとしても、いや、ちがった眼であればあるほど、それを最後まで凝視することが、いまは彼の宿命ともいうべきものだったのである。

先生の眼は次第に遠ざかった。険しい眼なのか、温かい眼なのか、そしてその視線がどこに注がれているのかさえ、もうまるで判別がつかないほど遠ざかった。