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ぶしゅうこうひわ
武州公秘話
谷崎 潤一郎
01 武州公秘話
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,572 字 · 209 页
と、それを夫人の眼に触れるように高くかざしながら、
「―――仔細のない者でございます、何卒お目通りを、―――」
と、重ねて云ったが、此の思いつきは案の如く効を奏した。そして、
「許しましょう、上っておいで」
と、夫人が同じように低い声で上から答えた。
地下の坑から床の上へ這い出すのには、既にたび/\その目的に使用されていたことであるから、動作を成るべく簡単に、且手綺麗にするように適当な足だまりが作ってあったので、河内介はそう体面を汚すような醜い姿勢を示すことなく、又上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)の尊厳を犯すこともなく、要領よく黒塗りの枠の下から迫り上って夫人の前に平伏することが出来た。それはちょうど、狐忠信が御殿の廊下から迫り出して静御前の前に額ずくあの千本桜の舞台の光景と、大した相違はなかったと思って差支えない。事実、厠とは云うものゝ、妻戸と壁とで仕切られたその部屋の中は、大輪の花のような嵩張った衣裳を着けている上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)の体を容れるために十分なゆとりが取ってあって、茶の間程の面積に一杯に畳が敷き詰めてあるので、さすがに其処も奥御殿の座敷に附きまとう森閑とした廣さの感じがするのである。