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ぶしゅうこうひわ
武州公秘話
谷崎 潤一郎
01 武州公秘話
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,572 字 · 209 页
谷崎君は平安朝の文学の清冽な泉によって自己の詩境を潤おしているとゝもに、江戸末期の濁った趣味を学ばずして身に具えている。日本の古典としての醇粋味は平安朝文学に漂っているので、私などは、谷崎君の作品のうちでも、その風格を伝えたものを一層愛好する訳だが、谷崎君が平安朝古典の継紹者だけに留っていたら、その作品は、無気力になる弊があったかも知れない。刺戟の乏しい退屈なものになったかも知れない。江戸末期趣味もこの作者には効果ある働きをしているのだ。
由来、日本の文学者は描写が傑れていないと私は思っている。徳川末期文学には溌溂たる描写がことに欠けている。自然と人事との交錯する或光景の描写の不思議にうまいのは、「源氏」「枕」「大鏡」などの、平安朝ものに見られるのだ。「武州公秘話」のうち、法師丸が老女に連れられて、敵の首に装束をしている婦女子の部屋を訪ずれるあたり、織部正が曲者に鼻をもがれるあたり、異様な光景の叙事たるに留まらず、或幻影の印象が読者の心に残るのは、この作者が平安朝古典伝来の描写力を有っているためであろう。西洋の近代小説の形式を採らず、自国の物語の体裁を好んで用いんとするのは、この作者近来の傾向であるらしいが、物語が自ら描写になったら日本文学として至極の境地であると、私は思う。